翻訳が必要な方のお役に立つことを目的にしている会社、スプリングヒルです。
翻訳というのは大切な仕事だと日々感じていますが、なにも翻訳は海外対海外でのみ必要となるものではございません。業務としておこなっているわけではありませんが、日本語から日本語への翻訳も、場合によっては必要なのではないかなと感じることがたまにあります。
鋭い方はもうおわかりですね?そうです。方言です。同じ国の中に住んでいたとしても、方言、なまりが強いと別の地域に行ったときにお話が通じないことがあります。東北の方と沖縄の方が話をした時には、どんな感じなのでしょうか?私は岐阜県出身ですが、昔、奈良県の友人と電話で話していたときのこと。中学校時代のことです。友人は風邪を引いてしまったらしく、声はガラガラ、せきも酷く、随分つらそうでした。
「熱がでてしまったの?大丈夫?すごくえらそうだよ?」と問いかけたのです。そうすると友人は「そうかな?偉そうかな?」と聞き返してきましたので、私は「うん、えらそうだよ。すごくえらそうだよ」と答えました。どんどん元気のなくなっていく友人。
ああ、風邪がつらいのだなと思っていたのですが、なんだか途中から謝りだしたのです。
いえいえ、あなたが風邪をひいたのは、別に悪い事はなくて、誰だって風邪をひくよとなだめたのですがなんだか会話がかみ合わない。よくよく聞いてみると「えらい」というのを「偉そう」と受け取っていたようなのです。
岐阜県では「えらい」というのは、偉いという意味も有りますが「しんどい」「体がつらい」という意味なんですね。
ですので友人としては「風邪を引いて、お前すごく偉そうだな!」と、私が言っていると思ったそうです。
なんと・・・。衝撃でした。こちらがもうごめんなさいです(笑)
この友人とは現在ではもうお付き合いはありませんが、懐かしい思い出です。
方言というのは、人情を感じるというか慕情を感じるというか、懐かしくあたたかい感じがしていいですね。
昔、方言を使うことがあまりなかったのですが(といっても、県外の方から見たらとても方言だったのかもしれませんが)友人とコミュニケーションを取る時、あえて岐阜弁を多く盛り込んでお話をした思い出もあります。
そうすれば、気を許してもらえてもっと仲良く、気軽なお付き合いができるのではないかと思ったからです。結局のところ大人になってわかるのは、問題なのは方言なのではなく、表現でもなく、「気持ち」「こころ」が一番大切なのだということです。
県民性、国民性で、受け取り方は様々かもしれませんが、基本はやはり感謝の気持ちですよね。思いやりや感謝の気持ち、伝えたいことをわたしたちなりに伝えて行きたいと思うスプリングヒルなのでした。
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